今日は自戒の意味も込めて、
言葉って本当に怖いよね、
と思うことを書きたいと思います。
昨年10月から小学校4年の娘が塾に通い始めました。
その時の動機形成の1つとして私が娘に言っていたのが、
「勉強って好きじゃない人にとっては、進んで出来ないよね?
だから、勉強しないといけない場所に行くってことはめちゃくちゃ大事やねん。
○○は勉強、自分ひとりでせーへんやん??だから塾に行くのはどう??」
と言ってました。
娘も勉強は好きじゃないし、出来ればしたくない。
でも学校の宿題をしていかないといけないから仕方なくしてるし、
テストの成績も悪いのは嫌だ、だからちょっとだけ頑張る、レベルです。
これまではこの「ちょっとだけやってれば」平均点以上は取れていたんですが、
小学校4年生になり、周りのお友達も外部の中学受験をする子たちも増えてきて塾に行く子が増え、
「ちょっとだけ頑張る」では平均点を死守するのがやっと
(というより、だんだん無理に…)になってきたんです。
本人も、「勉強しないといけない環境」に身を置くことに同意してたし、
自分ひとりでは「やり切る」のは性格的にも無理だと思っているので、
喜んで塾に通い始めました。
塾も楽しいし、分かるって楽しい!と結構喜んで行ってるんです。
私も一安心してました。
ところが先日、塾の懇談で…
「授業中はとっても真剣に熱心に頑張ってくれているんですが…
宿題をほとんどしてきてないんです。。。」
と発覚したんです(笑) 帰ってその話を娘にすると…
「だって…勉強しないといけない場所に行ったらいいって言ってたやーん!
家はリラックスする場やねんから、家で宿題とか無理やー。いややー。」
と反論が帰ってきました(笑)
まぁ、そりゃそうやけど…それは詭弁や!!!
なんでやねん!言葉じりだけ捉えるなよ。。。
宿題は当たり前にするもんやろ!なんで塾に行ってんのに、宿題せーへんねん!
と親子喧嘩の始まりです。言葉は恐ろしい…。
娘の中では「勉強する場に行って、一生懸命やればOK」って
インプットされてたんですね(笑)
ここで今日の自戒です。言葉は一人歩きします。
言った側が、
「こういう真意があって、こういうことを期待している」
と全てを言葉にせずに伝えてしまっています。
特に、こんな期待をしているよ、については言語化していません。
そのくらい分かるよね?分かってよ。と勝手に思ってしまっています。
でも受け取る側の心理状態によって、この測る度合いは大きく異なります。
娘にとっては、基本勉強したくない、心理なので
「塾に行ったときに頑張ったらいいよね」という受け取り方をしてしまいます。
言う側も相手の心理状態や、こう受け取るかもしれないな、
を踏まえて伝えなければ伝わりません。
これは置かれている立場や状況も大きく影響します。
上司としての立場、メンバーの心境、お客様の課題感などなど。
仕事において社内外問わず、まったく同じです。
コミュニケーションには想像力って本当に大事だと痛感した出来事でした。